おはようございます。これから私の半生を書きつづろうと思います。話せば長くなり

ますのでお暇な時にでも読み流して下さい。

 1956年、愛知県岡崎市に生まれる。中学時代から、なぜか料理に興味を持

ち、将来はレストランのオーナーになろうと思っていました。高校に入学してすぐに調

理クラブに入部、なんと男子生徒の入部は学校始まって以来初めてだそうです。

格好悪いので、悪友を何人か入部させたのですが、全員クビになってしまいました。

それでもめげずにフランス行きを真剣に考えるようになり英語の時間にはフランス語

の教科書を開いて勉強していました。卒業後、実技の勉強とフランスへの料理留学

の手続きのため、大阪に・・。フランス料理の老舗「アラスカ」に入社。一流の料理

屋での修行はきびしいとは聞いていたのですが、朝の8時から夜の10時過ぎまで、

月の残業時間は100時間オーバーです。それで手取りは4万5千円。アパート代

が1万5千円、飲み屋のつけが3万円(酒好きの私はダメですね)、給料日にすでに

ゼロ円です。それでもなんとかなるのが若さと大阪という土地です。休みの日には、

支店のゴルフ場のクラブハウスに喜んでヘルプに行ったものです。なにせヘルプさんは

飲み放題、食べ放題なんですよ。そんな生活でしたけど、大阪の人は皆親切と言

うかお節介やきで、お金がなくても結構楽しく過ごしていました。さて2年辛抱したら

待望のフランス武者修行のはずでしたが、当時、フランスは大不況でして、ついに

外国人排出運動まで起こっていました。内定していた就職先からも、キャンセルさ

れてしまいフランス行きは白紙に! 残念無念、第一の挫折です。

 傷心のまま名古屋に・・。ここで出会ったのがヨコイさんの「あんかけスパゲティ」です。

イタリアでは見たこともないような極太の麺に、やたらと香辛料のきいたドロッと

したソース。なんと野暮ったい田舎料理かな、と言うのが第一印象でした。

ところが食べているうちに、あの脂ぎった感じのスパが意外とアッサリ、スルスルと

食べられてしまい後味には野菜の旨味が・・。小食の私がおかわりしてしまいました。

まわりを見ると中年のサラリーマンでぎっしり満席、入り口には行列も。

繊細なフランス料理を追求していた当時の私には少なからずショッキングな

出来事でした。ただ、野菜の旨味を極限まで生かすソース作りというのは、

これはもうフランス料理と一緒です。大量の野菜をコトコト煮込み、思いきって

長時間寝かせる。肉のエキスは隠し味程度で十分。  う〜ん  これなら僕の

得意分野だな! なんて思ったものです。 それでもスパゲティ屋に就職する気には

なれず、たまたま見つけた面白そうな店 ロシア料理「ロゴスキー」にアルバイトとして入社。

あまりの楽さ(大阪時代に比べてですよ)と社長をはじめ良い人ばかりで楽しいもの

ですから、2〜3ヶ月のつもりが2年間もお世話になりました。

あまりぬるま湯に浸かっていてはダメだと思い、東京行きを決意。いざ東京へ・・。

東京といえば六本木と思い、俳優座の裏にあるバーに入社。バーと言っても

料理は一流です、朝4時から駕籠を背負って築地に買い出しですよ。

テレビでしか見たことのない役者さんとか野球の有名な選手とか、さすが

六本木です。大いに遊びもしましたがお酒の勉強等けっこう頑張りました。

少ししてから、名古屋で出会ったロシア料理が懐かしく、昼間は渋谷の

「渋谷ロゴスキー」にてアルバイトも始めました。暇な時は新宿のホテルで

バター細工とかも習いました。そんな折り、名古屋ロゴスキーの社長さんから

名古屋駅に新しく店を出店するから、おまえやってみないか?と誘われ

迷わず「やります」と返事、う〜ん、嬉しかったな。

東京は楽しいですけど疲れる町です。 と言う訳で、再び名古屋へ・・。

「ロゴスキー名駅店」初代店長として7年間つとめました。この7年間は

あっという間に過ぎ、私も30歳になろうとしています。そろそろ腰を

あげないと・・・、と思い いよいよ独立開業です。構想を練ること

3ヶ月、沖縄の米軍基地で食べたタコスなんかも気になりましたが

やはり10年前にヨコイさんで経験した印象が鮮烈だったため、

昼のメインは「あんかけスパゲティ」に決定。夜は長年勉強してきた

ロシア料理を中心にフレンチ有り、イタリアン有りのにぎやかなメニュー

構成で、お酒もたくさんそろえて・・・。 

出来上がった店が スパゲティとロシア料理の店 ルパシカ です。

大須の路地裏の小さな店ですが、おかげさまで結構好評頂き感謝です。

開店の翌年、女房の誕生日に45cmの小型水槽をプレゼントしたのですが

そこから海水魚にはまり、半年で6本の水槽を購入することに。

その辺でやめておけばよかったのですが、凝り性の私の悪いところで

ついに壁をすべて覆い隠すほどの水槽だらけになってしまいました。

お客様からは水族館みたいな店として好評だったのですが

経費がすごく・・・。 ついに魚の販売まではじめることになりました。

サンゴの魅力に引きずられるように、高価なサンゴを買いあさり

当時としては本当に素晴らしい水景でした。名古屋港水族館の飼育員さん

などもよく来ていただき、おだてられたのを良く覚えています。

そのころから機材のネット通販を始めました。

パソコン初心者の私が見よう見まねでHPを作りました。

機材の取引先は、140社ほどもあり、電話攻勢で、ダメ元で交渉したものです。

当時はネット通販と言っても、なかなか理解してもらえず、資料をそろえるだけでも

苦労しました。まだ楽天さんでも20社ほどしか参加してない時代です。

それでも6ヶ月ほどしてから、売れるようになり面白かったです。

それから20年、私も61歳になりました。あとはのんびりとなんて思っていたのですが

息子から宿題をもらいました。

  お父さんは、この事業を通して、

     人々や社会に対してどのように貢献していきたいのでしょうか。

う〜ん 貢献  ・・・。

飲食業の場合は、美味しいものを提供すれば

  あ〜 美味しかった  マスター また来るね!

という感じで双方喜び。

今まで何十年とやってきたことで OK だと思うのだけど

水槽・サンゴの通販となると??

もちろん良い商品の販売とアフターフォローは当然なんだけど。

サンゴに関しては、採集だけではなく、植樹みたいに

サンゴの赤ちゃんを植えていく運動を考えいます。

たとえば当店でサンゴを購入していただいた方の名前を付けた

サンゴの赤ちゃんを植樹してグーグルマップで見れるようにできたら・・。

こんな植樹マークが広がっていったら面白いのですが。

水槽業務のほうは、飲食業40年の経験を生かして飲食店の活魚水槽

の徹底指導(ちょっと大袈裟ですいません)を心がけ

双方喜べる状況にできるよう努力する  て感じかな。

長々と書いてきましたが、

私の基本方針は お客様に喜んでもらってなんぼ!

ですので、あと少し、頑張って走ってみたいと思います。

競馬で言えば、第四コーナーを回って、あとは直線だけってとこを

よれながら走っている感じだけど・・。

よろしくお願いします。

                 ルパシカ 店主   加藤 雅規

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